クライアント企業のリーダー層と話をする中で、目標設定に対して苦手意識を持たれているリーダーに出会うことは少なくありません。
本来、目標とは未来への期待を含んだもののはずなのに、どこか気が重い。
そんな方に何かしら参考になればと思ってのコラムです↓
目標設定に気がのらない要因の一つに、コーチングの世界で使われる
「理想自己(Ideal Self)」と「義務自己(Ought Self)」の混同があることが多いなと感じています。
理想自己(Ideal Self)とは、内側から湧き上がる「こうありたい」という姿です。
一方、義務自己(Ought Self)とは、社会や組織、周囲の期待から生まれる「こうあるべき」という姿です。
目標設定に苦手意識を持たれている方の多くは、知らず知らずのうちに義務自己から目標を考え始めてしまっているように見えることがあります。
例えば、社会起業家であれば、こんな目標です。
どれも立派な目標です。
しかし、それが自分の内側から生まれた願いのようでありながら、よくよく考えてみると「そうあるべき」という義務から生まれていることに気づく場合もあります。
厄介なのは、義務自己と理想自己の区別が、時としてとても難しいということです。
一見すると理想自己を掲げているようでも、丁寧に話をときほぐしていくと、義務から生まれた理想像だったと気づくケースも少なくありません。
しかしこれは、決して特別なことではありません。
むしろ多くのリーダーが、同じような隠れた悩みを抱えながら歩んでいます。
交換の論理の中で生きる私たち
義務自己から目標を考え始めてしまう背景には、社会の構造も影響していると考えています。
現代の資本主義社会では、多くの行為が「交換」を前提に理解されています。
「価値を提供することで対価が得られる」
「努力をすることで評価や報酬が返ってくる」
この仕組みは社会を効率的に動かす力になってきました。
しかし一方で、私たちには、あらゆる行為を無意識的に「交換」で捉える癖が副作用として生じているようにも思います。
仕事をするのは報酬のため
努力するのは評価のため
活動するのは社会的承認のため
その結果、行動は交換を望む相手の期待に合わせる方向へと向かい始めます。
つまり、私たちは普段、意識することはあまりなくとも、資本主義社会が、どのように人が行動するか、どのように目標を設定するかにも大きく影響を与えています。
目標設定が義務自己から生まれやすいのも、この交換の論理の影響を強く受けていることが一因だと考えています。
理想自己を探るためのニつの手がかり
では、どうすれば理想自己(Ideal Self)に近づくことができるのでしょうか。
ここでは、対話の中で大切にしているニつの手がかりを紹介します。
1. 自身の価値観を言葉にする
コーチングの目標設定では
「Having(何を手に入れたいか)」
「Doing(何をしたいか)」
「Being(どんな在り方でいたいか)」
という三つの視点で整理する枠組みがあります。

例えば、社会起業家が「地域の教育格差を解消したい」という志を持っているとします。
その場合、それぞれ以下のような目標が考えられます。
Having(何を得たいか)
- 支援者やユーザーを増やす
- 事業資金を集める
- 拠点を増やす など
Doing(何をしたいか)
- 教育プログラムを開発する
- 学校や自治体と連携する
- チームを組織する など
Being(どんな存在でありたいか)
- 子どもたちの可能性を信じ続けるリーダーである
- 地域の人々に信頼される存在でありたい など
本来、DoingやHavingは、Beingを起点として導かれていくものです。
しかし交換の論理が強い社会では、成果や行動(Having・Doing)から目標を考え始めてしまい、本来のBeingが見えにくくなることがあります。
そこで、こんな質問を起点としながら、答えの背景にどんな価値観があるかを言葉として表現し、それが本当にしっくりくるものであるかを確認します。もし、しっくりこないとしたら、Ought Selfからきている可能性があります。
Q1. 今の仕事(または過去の経験)の中で、最も「これは意義がある」と感じた出来事はどんなことですか?
Q2.あなたが仕事をしていて許せないことはどんなことですか?そこにどんな価値観が隠れていますか?
Q3. 自分らしく生きていると感じるのはどんな瞬間ですか?その時、何が満たされていますか?
回答例とその背景の価値観の例としては次のようになります
A1. 支援していた若者が、自分の将来についてはじめて前向きに語り始めたとき
→ <価値観:人の可能性を信じること>
A2. 同じ努力や成果にもかかわらず、特定の人だけが評価され、他の人が正当に扱われないこと
→ <価値観:ゆるぎない公正性>
A3. うまくいくか分からない挑戦に対して、不安を感じながらも一歩を踏み出しているとき
→ <価値観:未知に踏み出すこと>
2. 世間の価値観をわきに置いて自分のために行動をしてみる
自身の価値観を言葉にすることは大切ですが、内省だけで理想自己に近づくことが難しい場合もあります。そんな時、どうすれば良いか?
人が活動に深く没頭する状態である「フロー(Flow)」を提唱した心理学者ミハイ・チクセントミハイは、このことに関して次のように述べています。
私の発見によれば、ほとんどの人にとって、自分自身がどのようにあるべきか、何をすべきかについて考えることから得るものはない。熟慮は難しい技術であり、訓練されていない人々は、すぐに落ち込んだり、絶望してしまうことさえある。
他方、フローはいわば外側から内面へと人生を変革する。まず、自分のスキルを活用する機会を見つけ、次に、集中して行為している間は我を忘れなければならなくなるようなチャレンジに取り組む。
(中略)
逆説的なことに、こうした出来事が終われば、以前よりも強く自己が意識されるようになる。無為の原理は同様に自己の育成に当てはまるーー自分の人生をよりよいと感じるのは、自分自身を変えようとすることによってではなく、実際に変化を行動に表すことによってである。そうすることで自己は苦もなく自然に変化していくのである。
理想自己を明確にしようと考え続けるよりも、まずは自分のスキルを活かせる活動や、少し背伸びするチャレンジに取り組んでみる。その行為に没頭する中で、気づけば理想自己に向かっている。そのことを後から理解していくこともあるという示唆です。
例えば、作家の村上春樹は、自身が小説を書き始めたきっかけについて次のように語っています。
29歳の春の昼さがりに,神宮球場の土手式の外野席(略)に寝転んでいて,ふとこう思ったのだ。才能や能力があるにせよないにせよ,とにかく自分のために何かを書いてみたいと。……
1978年はヤクルト・スワローズが優勝した年だった。僕は春に書き始めて,優勝が決まった前後に書き上げた。
神宮球場のすぐそばに住んでいたので,よく試合を見に行った。ヤクルトは29年目の初優勝で,僕もやはり29歳だった。もちろん松岡も良かったし,若松も良かった。でもそのシーズンには船田とか伊勢とかヒルトンといった,もう盛りを過ぎていたり,あるいは本来の資質から言うとどうも一流とは言いがたいような選手もそれぞれの持ち場でよく活躍した。みんな頑張ってるんだ,僕だって頑張らなくっちゃと思って机に向かったことを覚えている
村上春樹「自作を語る 短篇小説への試み」より
一流になれなかったとしても、誰からも評価されなかったとしても、報酬(お金)がまったく得られなかったとしても、それでもやってみたいことはどんなことでしょうか?
理想自己は少しずつ言葉を変える
こうして見ていくと分かるのは、理想自己は最初から明確な言葉になっているわけではないということです。
本当は自分にとって大切なはずなのに、忘れてしまいそうになっていた価値観を思い出そうとしてみたり、世間の価値観を切り離して何かにチャレンジしてみたりする。
そのような営みの中で、理想自己は少しずつ言葉を変え輪郭を持ち始めます。
目標設定とは、正しい答えを決めることではなく、自分が本当に向かいたい方向に気づいていくプロセスなのかもしれません。
参考文献)
・ロバート・ビスワス=ディーナー (著),「ポジティブ・コーチングの教科書: 成長を約束するツールとストラテジ」
・熊代 亨 (著), 「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」
・M.チクセントミハイ (著), フロー体験入門―楽しみと創造の心理学